江戸蒔絵の系譜

1 2 3
「祖父三田村自芳」 「杉樹蒔絵衝立」 「乾漆宝珠文蒔絵盛器」
有純の祖父三田村芳蔵は、第7代赤塚自得の元に13歳で弟子入りした。姻戚関係であったことで、29歳の自得の内弟子の第一番目としての入門が許されたのである。師範代を経て作家名を「自芳」として独立し、1936年自得没後は稲花会を組織し赤塚自得の弟子を束ねることとなった。
現在、有純の手元に自得の資料が多く残され、アカズリと呼ばれる作品の模様を写し取った物、スケッチなど多くが未整理である。自芳は、日本画を修めて蒔絵を習得し、93歳で没する直前まで蒔絵筆を放すことなく作品作りに没頭していた。
4 5 6
「父三田村秀芳」 「沈金蒔絵 日本橋の灯」 「花に舞う」
自芳の長男で、有純の父秀雄は、家業を継ぎ、油絵の世界から蒔絵の製作に入った。「秀芳」の作家名で、蒔絵、沈金、螺鈿などの技法を駆使した多彩な画面作りと、山本海苔や洋菓子ボストンの缶のデザインなどアールデコスタイルの研究も行った。光芸出版『漆芸入門』の蒔絵の項を執筆する等、漆に関する文章も多く残す。  三田村芳蔵の長女(以久)は、高井泰令の三男の元に嫁ぎ、泰令氏と一緒に暮らした。高井泰令は池田泰真の弟子であり、柴田是真が師匠筋に当たる。その関係で、泰令氏の没後、是真、泰真の作品のアカズリおよびスケッチが有純の手元に渡る事となった。多くは未整理であるが、一部は「TAISHIN PIPE CASE」として、アンドン誌上にオランダのヤン・デーズ博士と有純の共著で発表した。

日本を代表し、世界的にも知られる是真の流れと赤塚派の資料を、埋もれるままにしておくことはできない。今後、多くの方のご指導をいただきながら研究を重ね、発表したいと考えている。